こんにちは。ロキ(@rokiroki_univ)です。
私は、うつ病と診断された経験があり、しかも、うつ病が寛解してから双極性障害と診断されたことがあります。
今回はうつ病や双極性障害になりやすい人の傾向やその予防策について、私のエピソードとともにお話していきたいと思います。
後述しますが、今回は少し詳細に私自身のエピソードもお話します。
目次
うつ病や双極性障害になりやすい人に共通する要素は二つある。
うつ病や双極性障害になりやすい人に共通する要素は大きく分けて以下の二つあると考えています。
・気分の上がり下がりが大きい。→不安定な環境
前者の孤独はうつ病に結び付けやすく、後者の不安定は躁うつ病(双極性障害)に結び付けやすいのですが、本質的にはどちらも気分障害(うつ病や躁うつ病)になりやすい要素だと思います。
これらの要素があるか否かは若い頃に育ってきた環境や体験によるところが大きいです。
しかし、大人になってからも、このような状態に陥りやすい環境に置かれるとうつ病や双極性障害になる可能性は高いかもしれません。※双極性障害については遺伝的要因も強いと言われています。
なお、過去の記事「不安やうつ病の原因と対策」では、人が鬱になる根本的な原因に言及しています。是非参考にしてみてください。
最初から非常に状況が厳しかった人達を、うつ病になりやすい人と勘違いされて引き合いに出されることがあります。よく言われる例が以下のような話です。
・世界の裏側ではもっと貧しい生活をしている人がいる。
・生まれた時から手足がなかった人もいる。
勿論、こういった人の中には、生きづらさなどから鬱状態になることもあります。
ところが、もっと鬱になりやすい例というのは以下のものだと考えられます。
これは、突然に孤独になり、幸せからの地獄という落差が激しいパターンです。「落差が激しい」は「波が大きくて不安定である」と本質的には同じです。
上は極端な具体例でしたが、要は一般的に言うと、「記憶が幸福を感じる状況を知っているのに、現状は苦しいストレスに長くさらされており、これらの状況の落差が激しい状態、かつ、人の理解や応援が得られにくい孤独な状態」ということになります。
今の時代に最も注意しなければならないことだと言えます。
これらは脳を完全に混乱させ、混乱によって誘発されるストレスは脳の細胞の損傷を進行させます。
前述の「大貧困の庶民から成功者になった」などの例で脳が混乱していないのは、すでに小さい頃から強い耐性を持っており、無意識に対処できているからです。
「大貧困を経験したことがない人が、突然、お金を失い借金だらけになり、愛する人にも逃げられ、全てを失い苦しみ続ける」という例の方が将来うつ病になりやすいということです。
ロキのエピソードと、メンタルを破壊しないためにそこから学べること。
ここからの内容は、私がうつ病と診断される根本的な原因となったであろう過去の思考や環境を振り返っていきます。そして最後に、そこから学べるメンタル疾患の予防策や改善策についてまとめます。
プロフィールに載せなかった私のエピソードもここで書きます。
※ロキのプロフィールはこちらです。
個人のエピソードになりますが、参考にはなるかと思いますので、興味のある方は最後まで読んでいただけたら幸いです。
以下の順にお話します。
・受験や進路決定で追い込まれても忘れてはならないこと。
・不器用なら自虐的にでも不器用をさらけ出せ。
・ストレスが尋常ではないならキャリアを捨ててでも耐えるのをやめろ。
まずは高校生の時の進路決定で理系か文系のどちらに進学するのかを迫られた時の話から始めたいと思います。
学生時代に進路を決定する時の危険な「思考」。
失敗に関しては遡ればきりがないのですが、まず理系として生きていこうと決心したきっかけやその当時の考え方に失敗がありました。
勿論、理系選択を決心したきっかけは一つではなかったのですが、今思えば最も決定的なきっかけは現実社会からの「逃げ」でした。
私は高校生の頃、人や社会の構造などに対して恐怖と不信感を抱いていました。
対して、科学は普遍的で嘘をつかないし裏切らないものだし、そういう学問なのだと信仰していたのです。
そのような経緯があり、理科や数学は好きだったのですが、社会や言語などには嫌悪感を抱いていました。

今では当時の「逃げ」の思考がその後の失敗に繋がったのだと思っています。
コミュニケーション、現代社会、政治、法律、情報技術、金融、外国語、文化、宗教など、先に学ぶべきことがたくさんありました。
資本主義国家である日本のルールや他の国との文化の違いを知らずに生きていくことは無謀であるし、面白いはずがありません。
問題は、重大な文系科目や社会的知識をおろそかにして、あるいはそれらから目を背けて理系の進路を決定した「思考」にありました。
受験や進路決定で追い込まれても忘れてはならないこと。
ではどうして、このような考え方にたどり着いてしまったのか。その理由はさらに過去の自分にさかのぼると分かってきました。
以下は私のエピソードになります。
私は小学生の頃から数学的な考え方が好きでした。ところが、計算は非常に苦手で注意も散漫であったため、ケアレスミスが多くて文字も汚いというADHDのような気質がありました。深く考えることは好きでしたが、他の部分がイマイチであったし、学校で学ぶ意味をあまり見出せず、小学生~中学生の中盤まではほとんど勉強をせず、好きなことばかりしていました。そのせいなのか、中学生になると人に褒められることなんてありませんでした。
私の育った尼崎では当時はそれほど治安も良くなく、学校もほとんどの人が授業中に歩き回っていて、教師に怒号を浴びせる生徒が必ずいるというような状況でした。そのようなコミュニティの中で生き残るために私自身も必死であり、多くの神経をすり減らしていく毎日でした。
家に帰るといつも親や兄弟と喧嘩ばかり。実家は経済的にも苦しい状態であったため、お互いにストレスを抱えており、喧嘩になることが多かったように思えます。
ある日、高校への進学が近づいてきたころ、なんとなく一夜漬けで勉強してテストの点数が上がった時、すごく母親は喜びました。当時、人に褒めらることに慣れていなかった私は反応に困りました。
今思えば、本当はすごく嬉しかったのですが、それが上手く表現できませんでした。だけど、嬉しかった。最初の原動力はそれだけでした。
このあたりから、特に理数系において深く考えて考察するのが得意だった自分は、モチベーションを持続させるために理数系を極める方向性で勉強するようになりました。そうでもしないと、確実に後れを取っていた私は良い成績を出せないと感じていたからです。コミュニケーション能力や基本的な社会的能力、情報処理能力を磨かず放置し、一人で黙々と紙面上のみで理数科目の勉強をしていました。この時に既に理系の進路を考えていた私は決してしてはならない理系選択の方法をとっていたのでした。
理系を選択することは悪いことではありません。でも、その理由はポジティブな理由でなくてはならなかったのです。
忘れてはならないのは、追い込まれていることを理由に逃避意識を持たないことです。
不器用なら自虐的にでも不器用をさらけ出せ。

大学には無事に進学できましたが、その代償は大きかったように思えます。
私は大学生になり、恋愛なども含めて人間関係で大きな失敗を経験しました。その失敗のきっかけは、元をたどれば人に対する不信感と恐怖でした。しかし、それは自分の未熟さでもあり、社会との不器用な関わり方に問題がありました。その当時、頭では理解できていても、上手くふるまうことができなかったのです。これはまさに過去に人間関係や複雑な社会構造から逃げてきたことに大きな要因があったのです。
孤独が嫌いなくせに自分から孤独を選んでいました。そんなどっちつかずのくせに、どうすれば人に信頼してもらえるのか、どうすれば愛してもらえるのか、などと考えていました。
不器用なりに頑張り、一定の層から大きな信頼を得たこともありました。しかし、その後に意図せず信頼を破壊したことがあります。(※詳細は省きます。)信頼を得てからの、一転した暴落はまさにこれまで味わったことのない地獄です。落差が大きく不安定になりました。これが「私がうつ病になるまで」の最初の段階でした。孤独はうつ病予防において最大の敵です。あらゆる見方があるのですが、最大の失敗は私の実力不足にあったように思います。
結局は、科学信仰型の考え方が形成されていた過去に問題があったように思います。
コミュニケーション力と社会的能力を積極的に学ばないのは愚かこの上ないことだと気づかされました。不器用で済まされないのです。
せめて、不器用は不器用なりに自虐的にでもさらけ出すべきで、失敗しながらでも器用さを学ぶべきなのです。
ストレスが尋常ではないならキャリアを捨ててでも耐えるのをやめろ。

そして私は大学院に入り、孤独や不安定な波を強く引きずったまま身体的にも精神的にも苦しんでいくのです。
奨学金を借りて借金しながら、週6~7で毎日12時間ほどの研究生活。時には泊まり込みで徹夜。学生で授業料を払っていて経済的に削られている状況でも、自由な時間が無く、風邪をひいて少し遅刻すると指導者や同期から冷たい視線を浴びるという環境でした。
与えられた研究もかなり困難な内容だったようで思うように成果が出ず、人間関係にも苦しみます。困難だったという表現には反論があるかもしれませんが、はっきり言って研究のバックグラウンドもなく、それを言うのはかなり危険です。指導者はその研究内容にどのようなリスクがあって、どのような背景のもとでその研究を任せるのかを事前にはっきり確認し、選択肢を与えるべきです。医者が、お金を払っている患者(データとして考えると被験者)に対してリスクを言わずに副作用の強い薬を与えてはならないのと同じです。
そもそも、学生はお金を払って、教授の研究成果のためではなく、自分の成長のために頑張っているのです。言い換えると、患者はお金を払って、医者の被験者になるためではなく、自分の病気の治療のために頑張っているのです。
成果の前に自分の健康や学習、成長が大前提です。研究室が原因で病気になるのはもってのほかです。はっきり言って勘違いしている大学教員も多いです。そして、人それぞれ研究室への関わり方やその時の環境は異なるので、人と比較することしかできない指導者など無能です。
この頃、様々な要因からストレスが重なり、ついに初めて病院やカウンセリングにかかるようになります。ですが、この時期も基本的にはできるだけ休まず我慢し続けました。そして人間関係のストレスに加えて、追い込まれていた研究や就職活動などのストレスも加わるようになりました。結局、なんとか耐え続け、就職先が決まり、無事に研究成果もまとめられて修士を修了しました。しかし、「耐え続けた」ことが人生における大きな失敗のひとつだったのです。
そして、社会人になって気づきました。私にとっての「経歴」や「キャリア」はくだらなく、足かせでしかないと。例えば、東大出の人が起業してそこそこに成功したパターンと中卒や高卒の人が起業してそこそこに成功したパターン、どっちが好感を持たれるか。前者であればみなこう言うでしょう。東大まで出て、そこそこにしか成功してないのか。後者は逆でしょう。中卒なのにそんなに成功できるのか。
大事なことなので繰り返します。
「耐え続けた」ことが私の人生における大きな失敗のひとつだったのです。
このような状態のまま耐え続けることで、その後大きな苦しみを抱えることになってしまうのです。
うつ病や双極性障害の発症や悪化を予防するための対策や人生設計について。

これらのエピソードなどから学べることをまとめます。
・孤独と心の不安定の二つを減らしていくために人生設計をする。
学びにおいては、偏りを減らすことが状態の波の不安定を防ぐ一つの対策になります。特に成長期の人はこのことが重要です。
とはいえ、優先順位はつけるべきです。そのために視野を広げるのです。
生きていくうえで大切なことや必要なことを優先的に学ぶべきです。例えば、情報処理、言語・聞き力、対人・笑顔・表情、社会、金融などです。
そして孤独を避け、積極的にコミュニケーションをとりましょう。
大学生活などでは些細なことでも助けを求められる人を一人でも多く作っておくことを目標にしましょう。
もしもあなたが鬱に悩んでいるのであれば、孤独と不安定の二つを減らしていく作業が大切です。
不安定を避けるというのはチャレンジをするなということではありません。人間関係や生活リズムだけでも、まずは安定化させるのです。
変えることができないような周りの環境は無視し、あなた自身で変えていける環境や日常生活に注目するのです。
勿論、仕事や学校などを変えられるのであればそれを実践するのも一つです。
選択肢は意外とたくさんあると思います。
いかがだったでしょうか。
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ここまで読んでくださりありがとうございました。
●ロキのエピソードと、メンタルを破壊しないためにそこから学べること。
・学生時代に進路を決定する時の危険な「思考」。
・受験や進路決定で追い込まれても忘れてはならないこと。
・不器用なら自虐的にでも不器用をさらけ出せ。
・ストレスが尋常ではないならキャリアを捨ててでも耐えるのをやめろ。
●うつ病や双極性障害の発症や悪化を予防するための対策や人生設計について。